君は君の技術を継ぐ者を育てているか?
僕のように、自分の才能だけに頼って生きていないか?

もしそうなら、今からでも誰かを育てなさい。
僕は気づくのが遅かったが、君はまだ間に合う。

後を任せる者がいないと、
いつまでも、
君から才能が去ったあとも、

惨めに「天才」を、演じ続ける羽目になる。

『医龍』22/乃木坂太郎・著/小学館2010

2010-01-29

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JUGEMで障害発生中、家入氏のブログにユーザーらしき人が
「障害発生してますけど気づいてますか? 不愉快&不必要とお感じでしたら削除してください」
とコメントつけたら、なんと、社長が速攻で削除したあげくに「不愉快なので削除しました。」というコメント。

さらに、

>「不愉快&不必要とお感じでしたら削除してください」と書いて
>あったんで不愉快なので削除しました。

つまらんことに対応するのはずいぶんお早いことで。
本 当 に 対 応 す べ き こ と に 対 し て は 死 ぬ ほ ど ノ ロ マ な く せ に


という至極まっとうなコメントに対しては、

しぺぺぺぺ!!


という意味不明なコメント。ユーザーをバカにしているとしか思えません。

166 notes

 論点がほとんど出尽くした感のある今回の虚構新聞騒動だが、おおむね消費者の目線で語られた論調が多くて興味深い。つまり情報の受け手の側に立った論考が目立ち、逆に送り手の立場をイメージした論点があまり見当たらない。たとえばこんなやり取りもそうだ。

「サイト名を見れば、虚構新聞そのものを知らなくても冗談とわかるじゃないか」

「いや、サイト名だけで情報の真偽を判断しちゃ、それこそリテラシーないじゃん」

 一見、もっともな反論だ。

 情報の受け手の側として見れば、サイト名のみに左右され、真偽の判断がブレるのでは確かにリテラシーがない。じゃあ逆にサイト名に 「真実のみを報道する新聞」 と書かれていたらどう判断するんだ? って話になる。

 この場合、正解は、サイト名やその記事を読んだだけで真偽を判断するのでなく、自分で検索して調べてみたり、資料を当たったり、現場へ確かめに行ったりして、独自に確認し情報のウラを取るのがセオリーだ。それができない場合は、話半分で聞いておく (信じない)。また、そういう未確認情報のたぐいを不用意に二次送信しない。

 では一方、自分を二次情報の送り手として見るとどうか? 当然、引用元(サイト名)が入ってない記事タイトルだけチェーンメール的に送信するのはどうか? 自分で事実確認した上で二次送信することの重みをどう考えるか? みたいな議論が起こるだろう。
 
 第二に、同じく情報の送り手としての虚構新聞はアリか? ナシか? の視点で見れば、サイト名に 「虚構」 と入れてある時点で送り手の側の責務 (真偽判定の材料を出すこと) は果たしているから、パロディでウケを狙うきわどい情報の発信者としては 「アリだ」 という話になる。

 で、そこから先は「それでもジョークだとわからない人はたくさんいる。その問題はどうするんだ?」 との疑義が突きつけられるだろう。

 それに対し、「いや冗談がわからない人にもわかるように書くんじゃ、ネタバレになる。作品として成立しない。それじゃ芸術は成り立たない」 みたいな議論におそらくなり、 「じゃあ、一体どのレベルの人に合わせて書くのか?」、 「この人のレベルか? それともあの人のレベルか?」 というようなターゲット像の話が無限ループするだろう。

 つまり消費者でなく作り手の視点で見れば、この議論は 「果てしがなく結論が出ない」 のである。

16 notes

 私はツイッターでフォローしている人が書き込んだURLをクリックすることがあまりないというか、そもそも自分が書き込む時にしか開いていないので、ツイッター経由で虚構新聞にアクセスしたということはない。アクセスするのは、いつもはてなブックマークを経由してだが、はてなブックマークは記事元のドメインが表示されるので、始めからこの記事は虚構新聞のものだなとわかってアクセスしている。
 なので、初見で『橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化』というタイトルと短縮URLがツイッターのタイムラインに流れてきたら、どういう気持ちになってどうするかというのはわからないのだが、ついさっき、虚構新聞関連のトゥギャッターのまとめを見ていたら、本物の通信社の記事かと思ってクリックしてしまうかもしれないなと思った。

 たとえば、なにかのインタビューや講演で橋下市長が、

 今の小中学校のインターネット教育というのは、Yahoo!にアクセスしてみよう、ホームページを作ってみようというところで終わることがほとんどだと思います。でも、もっと踏み込んで、時代に沿った形でしっかり教えた方がいいと思うんですよね。そういう意味では将来的に、小中学生全員にツイッターのアカウントを持ってもらうというのも面白いかもしれませんね。

 みたいなことを語ったとする。“面白いかもしれない”というのは、基本的に、“アイデアとしては面白いけど非現実的なので実行する気はない”の略である。しかし、どこかのニュースサイトがそれをわかって『橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化』という見出しで、このインタビューにリンクしてもそんなに変ではない気がする。勿論、PVを獲得するためだ。
 で、こっちはそういう構図を思い描いて、元記事ではどういう風なことになっているんだろうと確認したいという欲求が湧いてくると思う。簡単に言うと、

橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化

 は最初から事実ではないとわかるが、

その見出しが付くきっかけとなったインタビューや講演

 の記事を読みたいのでクリックするということである。
 ネットメディアが増えて、あり得ないタイトルの先に本物の記事がある可能性を高く見積もるようになってきたというのが、確認欲求を実行に移す要因の一つだろう。

 上記の目的で短縮URLをクリックする人からすると、虚構新聞のサイトに『虚構』という文字が入っているとか、タイトルを反転すると「これは嘘ニュースです」と書いてあるということはそれほど意味がない。タイトルを始めから真に受けていないので、クリックしたら虚構新聞で、「やられたー」と苦笑いして自分の額を指の先で叩くということもほとんどなさそうだ。

 誤認があるかもしれないが、とりあえずはてな界隈で虚構新聞にもっとも強く異を唱えている……というか、タイトルにサイト名を入れてくれと考えているのは、タイトルだけ、特に実在のものを連想させる名前が入っている場合だと、あり得ないとわかっていても(インタビューや講演を聞いた第三者がいかようにもタイトルをつけられるため)元記事が虚構新聞なのか、それとも通信社の記事なのか判別つかないので面倒だと思っている人たちだろう。「内容については特に言うことはない、ただ、自分は本物の記事だけを読みたいんだ、だからサイト名を入れてくれ」と俯いている光景が目に浮かぶ。
 顔が真っ赤になっているかどうかはわからないが、本物の記事があると思ってクリックしたのであれば騙されたと言える。しかし、タイトルを見て「それは大変だ!」と反射的に思ってURLをクリックした先に虚構新聞の記事があった時の気持ちと、「おかしなタイトルなので記事元を確認しよう」と思ってクリックした先に虚構新聞の記事があった時の気持ちには違いがあるのではないだろうか。
 前者はいわゆる釣られた状態で、いやー、まいったまいったという気になって、虚構新聞の運営者さんはしてやったりという流れが見えるが、後者は作業中にノイズを拾ってしまったような気になるのでは。サイトを見ることは遊びという人と、サイトを見ることは作業という人の感覚の違いと言えるかもしれない。

7 notes

デマ」の「悪者探し」をするのって意味ないと思ってる。

誰かを高く吊るさなくちゃ気がすまないっていう義侠心の塊みたいな人が沢山いるけれど、彼らによってネット治安が守られている気もしないですしw

虚構新聞が悪くないとは言わないけれど*1、虚構新聞を高く吊るしたところでデマという構造自体は無くならない。


というわけで(どういうわけだ)虚構新聞「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」を本気にしたりする人とかに掲載されている「釣られた」とされている全アカウントツイートTwilogを使って調査を試みた結果を書いてみますよ。


わかったのは二つ。

一つ目は「晒された殆どツイッターユーザさんが虚構新聞が謝罪する前にfollowerさんによって気づいていた」ということ。

中には「晒された」ツイートの直後に釣り宣言をしている人もいるけれど、それはそれとして、個人的な感想としては「良かった、騙された儘、気づいてない人は殆どいないんだね」ということ。

まあ、アレだよね。本当に義侠心があるならば「騙された人が可哀想、悪いのは虚構新聞」なんてエントリを書くまえにそっと「騙されてますよ」って書くのがやる事なんじゃないのか?私は義侠心の欠片もないただの野次馬からやらないけれどw


二つ目は「晒されて」いる人の大半が虚構新聞のアカウントであるkyoko_npをフォローしていない、という事実

これはどういう事か、というと「誰かのツイートを何らかの手段で目撃して、ツイートをした」という事。

調べた限りでは、たまたま一アカウントしかフォローしている人はいなかったけれど、実際には纏めに載っかってないアカウント(ツイート自体を消してしまっている人も何人か確認している)もあるので、ツイートした意図がどこにあるのかは別にして、虚構新聞のツイートをRTしたりしたものを見た人がびっくりした、という構造が存在するんじゃないだろうか。


と、書くと「虚構新聞がデマさえ流さなければ」という反論が来ると思うので予め言って置くのだけれど、デマって結局「自分が信頼を置いている人・身近な人から聞いたこと」を複数の情報源で確認しない儘拡散した結果広まるんですよ。

だから例えば私が虚構新聞のネタをネタと知りながら「ナ・・・ナンダッテー」とだけ書いてどこかに書いて、それを読んだ人が私の発言意図を飛び越えて「信じて」しまう可能性というのは存在する。

虚構新聞のアカウントを虚構だと知りながらフォローをし、ネタだと知りながらRTなどをした結果として「デマ」が作り出されたのではないか、と私は考えている。


デマというのはそう簡単になくなるものではない。

以前『何故チェーンメールのような風説の流布が起きるのか』でも触れたようにデマを信じてしまう人というのは3~4%程度は存在すると私は思っている。

togetterのような場所に「纏め」られると、さも多いかのように思えるが(もちろん、纏めに掲出されたツイートが全てだとは言わないが)実際には多くても100にも満たないユーザ数ではないかと思う。

虚構新聞のフォロー数は42000近く、更に虚構新聞のフォローをしているアカウントをフォローしているユーザ数といえば相当数に上ることをかんがえれば、もっと多くの人が「騙され」ていても不思議ではないし「騙された」と指摘されている人の多くがfollowerさんによって指摘を受けて間違いであることに比較的短時間で気づいている事を考えると、ソーシャルメディアも案外捨てたものではないように思うのだが、どうだろう。

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