1919年。ハンガリーのティサクルトという小さな町で、ラツィオ・クロンベルクとその妻のスシーは小さな旅館を経営していた。このあたりの地方は一年の大半が雪で覆われるような寒い土地で、クロンベルク旅館は人里離れた丘の上にあったにも関わらず、この辺を訪れる旅人はここしか止まる場所がなかったので、お客の入りはそれほど悪いものではなかった。

だが時は第一次世界大戦のさ中。戦争が始まってからというもの、旅館の客はめっきりと減ってしまった。このクロンベルク夫妻はすでに老夫婦となっていたが、子供たちに関しては不幸続きで、娘は家出して売春婦になってしまったし、息子の方は9歳の時に不良仲間に入って父親に叱られたのがきっかけで家出してしまい、全く家には帰ってこなかった。



お客は減り、収入も減り・・だが老いた身体では他に何をすることも出来ず、貯金も使い果たしてしまった。明日の生活にも困るようになってしまい、追い詰められた夫婦は、ついに「旅館に泊まった人間を殺害して金品を奪う」という方法を思いついたのである。

殺害にはストリキニーネという毒薬を使うことにした。夫が街に降りてストリキニーネを小袋いっぱいに買った時、店員に何に使うのかと尋ねられたところ、「近ごろオオカミが出て困っているので、その退治に使うのだ。」と言ってごまかした。

殺人計画は実行に移され、1919年から1922年までの3年間に渡ってこの旅館では、実に10人もの人間が殺されることとなった。


夕食に出すワインにストリキニーネをたっぷりと入れ、お客を殺害した後、死体は谷底へと投げ捨てた。あたりに民家はない上に、雪が春まで解けないので発見されることはほとんどない。

仮に発見されたとしても、その時にはオオカミが食いつくして骨だけになっている。時々死体を、パンを焼くかまどで焼いて処分することもあったようだ。

もちろんこのようなことを繰り返していれば、この付近で次々と人間が行方不明になるという噂は警察の耳にも入る。だが場所が場所だけに、旅人たちは遭難したとか、暴漢に襲われたとか、オオカミに食われたとか、そうした形に思われていたようだ。

もちろんこの夫婦が、殺しているのではないかという噂もたくさん立ったが、何よりも証拠がなかったし、死体も発見されることはなかった。驚いたことに殺害を繰り返していた3年間、一度も警察の捜査を受けなかったのである。何よりも夫婦がとても明るく、そのような暗いうわさを吹き飛ばしている感さえあった。


しかし何人も殺すにつれ、段々とクロンベルク夫妻も慎重になり、これまで強奪した金品で随分と裕福にもなった。そこで、あと、もう一人殺したら、永久に殺人はしまいと夫婦で誓い合うことになった。

1922年8月14日、最後のターゲットが選ばれた。その男は30代半ばのわりと小太りの男で、荷物のスーツケースにはたっぷりと現金が入っている様子だった。話を聞くと男はこれまで貯めた金でどこかの土地を買いたいのだという。

そして夕食時になった。夫婦は男とともに2時間ほど夕食を楽しんだ。男は人柄も良く、話も弾んで殺すのに躊躇(ちゅうちょ)するほどであったが、ここで考えを曲げていけないと思い直し、いつものようにストリキニーネをたっぷりと入れたワインを差し出した。

男は何も疑いもせずワインを飲みほし、たちまち毒がまわり、唇はめくりあがり、目をむいて身体をのけぞらせ、のたうち回りながら、あっという間に死んでしまった。

最後の殺人も成功した。夫妻は男の泊まっている部屋に戻ってスーツケースを開けてみると、やはり思った通り大金が入っていた。また、その他の男の荷物も物色して、他に金に変えられる物はないかと探してみた。

だが・・その荷物の中から驚くべきものを発見してしまったのだ。


なんと若いころのクロンベルク夫妻・・つまり自分たちのスナップ写真が入っていたのだ。この写真を見た瞬間、全てを理解した。
この男は長い間家出していた自分たちの息子そのものだったのだ。これまで犯した殺人の罰だろうか。夫妻は恐怖におののき、自分たちを犯した罪にさいなまされ、全身は震え、一晩中泣き明かしたという。

数日後この旅館に別の旅人が訪れ、その旅人の通報で、村の人たちが旅館に足を踏み入れてみると、旅館の食堂で3人の死体を発見した。

一人は夫妻に殺された息子のもの。そして残りの二つはクロンベルク夫妻のものである。三人ともストリキニーネの服用による目を覆いたくなるような死に様だった。

それから何年もの間、この旅館は無人の状態が続いていたが、何人かはこの旅館を買おうとして宿泊したことがあった。しかしその者たちはいつも一様に恐ろしい目に会い、旅館を買うどころかすぐに逃げ出してしまった。

夜になると食堂で食卓を囲んでいる13人の犠牲者たちの亡霊・・。彼らはストリキニーネ特有の死に方・・目をむき身体をのけぞらせ、ものすごい形相をしてイスに座っているのだ。

このクロンベルク旅館の亡霊の噂は瞬く間に広まり、すでに誰も旅館に近づかなくなってしまった。

1980年9月23日、朽ち果てたクロンベルク旅館は突然炎上し、灰になってしまった。噂によれば誰かが放火したのだろうということになったが、その犯人を突き止めようとする者はもう誰もいなかった。

44 notes

1900年代前半のルーマニア。あるところにベラ・レンツィと言う女性が住んでいた。彼女は適齢期になると年上の実業家と恋愛の末に結婚し、めでたく子供も出来た。

一見幸せそうに見えた家族であったが、いつの頃からか近所の人たちは、その家でベラの夫を見かけることが全くなくなってしまった。

いつ見ても家にはベラ本人と子供しかいない。不思議に思った近所の主婦が、ある日ベラに尋ねてみた。
「あの・・立ち入ったこと聞くようだけど、最近ご主人の姿を全然見かけないけど、お元気なのかしら?」と。

それに対してベラはこう答えた。
「夫は・・私に黙って別のところで愛人を作って、その人と一緒に外国へ行ってしまったわ。だからこの家には私と子供がとり残されたようなものなのよ。」



元々が派手好きな夫婦だったから、この言葉で近所の人たちも納得したようだ。それからしばらくしてベラは、ある年下の男と再婚した。ところがこの男も数ヶ月するとまた姿を消してしまったのだ。

またもや近所の人の問いかけに、「あの男は別の女と一緒に家を出て行ってしまい、後から私に別れの手紙をよこした」、と説明した。元々が浮気グセのある男だったので、今度も「あぁ・・やっぱり・・。」といった感じで周囲の人も納得したようだった。

そして3人目。この男とは結婚はしなかったが、同棲のような形で一緒にベラの家に住んでいた。そしてこの男もまた、しばらくすると忽然と姿を消してしまったのだ。


こうした形でベラの家には次から次へと新しい恋人が入ってきてはいなくなってしまった。でも大抵は、どこから来たのか分からない男や外国人だったので・・それに近所の人たちも男が入れ替わるということに慣れてしまい、誰も何も疑いもしなかった。

ところが32人目の男は、たまたまこの街でも有名な実業家の男だったので、蒸発した途端、その男の家族が捜索願いを出してしまったのだ。警察の捜査の過程で当然彼女の家にも捜査が入る。

そして・・彼女の家を捜索した警察はある部屋の光景を見て全員が驚愕した。なんと彼女の家の地下室から35個もの棺(ひつぎ)が発見されたのだ。

そしてそれぞれの棺には、これまでこの家で忽然と姿を消した男たちの死体が入っていた。棺にはそれぞれの死体の名前と年齢が書かれてある。


2人の夫に32人の恋人。そして最後の一つにはなんとベラの息子まで入っていた。警察も驚きを隠しきれない。即刻彼女は逮捕された。後に自供したところによると、全員ヒ素で殺したのだという。

「この男たちが、私を抱いた腕で別の女を抱くのではないかと思うとたまらなかったのです。」裁判で彼女はこう自供した。息子にしても、年頃になると別の女に取られてしまうのではないかと思い、殺して永遠に自分のものにしたかったらしい。

逮捕されるまで彼女は、夜になると毎日のように地下室に降りていき、ローソクで照らしながら、棺の一つ一つを開け、殺した男たちの死体を見るのを毎晩の楽しみにしていたという。

35 notes


昭和30年7月28日、林間学校のような形で三重県津市の海岸の海岸を訪れ、その海で泳いでいた中学生たちが突然、集団で溺れ死ぬという事件が発生した。

この時の死亡者は36名。普通に水泳を楽しんでいた、この中学生たちに一体何が起こったのか・・。かろうじて生き残った生徒の話を聞くと、例えばある生徒はこう証言している。


「私が泳いでいると、突然友達のAさんが、〇〇さん、あれ見て!と叫び声を上げました。彼女の指さした方向を見ると、同級生たちが次々と海の中に引きずり込まれていってました。そして波の上には何か黒い人間たちの集団がひたひたとこちらに迫ってきていました。

その黒い人間たちの集団はどんどん私の方にも近づいてきて・・・よく見るとそれは防空頭巾をかぶった大勢の女の人たちだったのです。その人たちは泳ぐというより波の上を移動しているといった感じで・・あっ・・と思っと瞬間、いきなり私も誰かに足を引っ張られて海の中に引きずり込まれました。

海の中で薄れていく意識の中で、私は足をつかんで放さない、無表情な防空頭巾の女の人をはっきりと見たのです。」


この生徒を含めてこの時助かったのは9名。なんとかこの生徒は助かったものの、その後肺炎を併発して30日間入院することになった。入院している最中も彼女は「亡霊が来る・・亡霊が来る・・。」とうわごとのように言い続けたという。

ここで昔、この地に何があったのかを調べてみると・・・、この事件のちょうど10年前の昭和20年7月28日の終戦間際、B29の大編隊が津市上空を襲い、実に250名もの死者を出していることが分かった。この時、死体の大半はこの海岸の砂浜に埋められていたのだ。

生徒たちを襲った、防空頭巾やもんぺ姿の女性は、この時に成仏しきれなかった戦争の犠牲者たちなのだろうか。

また、この海岸では7月になると、奇怪な死に方をする人がその後の相次ぎ、釣りをしていた人が理由もなく沖へ沖へと歩いていき、水死したまま死体も上がらないとか、また、先の生徒と同じような目にあった男性が、やはり「亡霊が来る・・亡霊が来る・・。」病院のベッドでうわごとを言いながらなくなったりもしているのだ。

そしてその後、この海岸には死者を慰霊するための女神像が建てられた。

52 notes

アメリカのニューヨーク州・ハイズビルというところに建つ一軒の貸し屋。1843年、その家に、ある家族が引っ越してきた。が、引っ越してきてまもなく、毎晩のように指をパチンパチンと鳴らすような音やコブシで壁を叩くような音、床を踏みならすような音が聞こえ始め、気持ち悪がって3ヶ月で引っ越していってしまった。

その後3年間空き屋になっていたが、その家にまた別の家族が引っ越してきた。しかしこの家族も全く同じような目に会い・・特に末の子供は、夜中に冷たいネバネバした手で顔をなでられるというような目にあったりして・・・、この家族も一年半でこの家を出ていってしまった。



そして1847年、今度はフォックスという男とその家族がその家に引っ越してきた。またもや同じ怪奇現象は起き、連日恐ろしい音や何かを引きずって階段を降りるような音に悩まされることとなった。そんなある日、娘が奇妙なことを行った。「幽霊さん、私の真似をしてみてよ!」と言って指を鳴らしてみると、それに合わせてラップ音が鳴ったのだ。

指を3回鳴らすとラップ音も3回鳴る。これを見ていた夫人は、怖さを抑えて霊と交信してみることにした。

「音をたてているのは人間ですか?」という問いかけにはラップは鳴らず、
「殺された人の霊なら、2つ音をたてなさい。」という問いかけをすると家が揺れるほどの大きなラップが鳴った。


この日からフォックス家の人々は霊と交信が出来るようになった。特に末の娘は、聞きたいことを心に思い浮かべるだけで、霊が返事をしてくれるようになったのだ。

ある日夫人は、「ところで幽霊さん、あなたは昼間、他の人たちがいる前でも、私たちの質問に答えて下さるんでしょうか? この際、幽霊というものの存在を他の人たちにも知らせたいのですが。」と聞いてみると、ひときわ大きなラップ音が鳴った。

こうして3月31日、実に500人の人が集まった中で、霊との本格的な会話を試みることとなった。名前や地名、言いたいことを聞く方法として、アルファベットをA、B、Cと順に読んでいき、必要な文字のところでラップを鳴らすという約束で霊との会話が始まった。

そしてそれによって判明したこととは・・
私は5年くらい前に、この家で殺されたチャールス・ロスナという商人である。犯人は当時、この家に住んでいたジョージ・ベッグという男である。

私は寝室で殺害され、包丁で首を切断されて500ドルのお金を盗まれた。そして死体は地下室に埋められた。なんとか自分の死体を墓に葬って欲しい・・。」ということであった。


この話は瞬く間にあちこちに伝わり、大勢の人を集めてさっそく地下室を掘り起こすこととなった。すると、やはり霊の言うように、地下3mほど掘ったところで髪の毛と頭蓋骨、そして殺害した時に血を受けるのに使ったであろう容器が発見されたのだ。

だがこの時は、それがロスナの頭蓋骨かどうかまでは確たる証拠にならず、ジョージは結局無罪ということになってしまった。

その後もロスナの霊は毎晩のように家で騒ぎ、ドアが勝手に開いたり、家具が引きずられたり、毛布が上に跳ね上がったり・・などの現象が続いた。

特に深夜になると、殺人のあった瞬間の出来事が大きなラップ音で再現されるのである。

まず、二人の男が激しく争っている音が聞こえ、次に片方の男がノドをかき切られたようなゴロゴロといううめき声が聞こえ、その後は死体を引きずってあるく音、シャベルで庭の土を掘り起こすような音までが聞こえてきた。

また、この話を聞いて連日押し掛ける野次馬にも、フォックス家の人たちは困り果てていた。


そして時は流れ、1904年11月23日。事件発生から56年目のことである。フォックス一家が住んでいた家は、すでに廃墟となっていたが、ここで遊んでいた子供たちが、偶然にも地下室の横穴から、首のない白骨死体と、商人が商売で使うブリキ製の荷物入れを発見したのだ。しかもカゴには「チャールズ」という名前がしっかりと刻んであった。

犯人ジョージは、チャールズを殺した後、首を切断して、頭は地面に、胴体は壁に埋め込んでいたことが判明した。霊が言ったことは全て本当だったのだ。

この事件が「ボストンジャーナル」を始めとして、国内はもちろん海外の新聞まで取り上げられたため、アメリカはもとよりヨーロッパまで大反響を呼び、心霊科学研究が本格的に始められるきっかけとなった。

86 notes

1999年1月9日、イギリス。アンジェラという一人の女性が社会見学を兼ねて、かつて牢獄として使用されていたという「グレイフェアーズ・カークヤード教会」を訪れた。

彼女はしばらく教会の中を見て歩き、そしてある一角に残されている一つの牢獄に足を踏み入れた時のことである。突然彼女は息苦しさを感じ始めた。単に呼吸出来ないという息苦しさではない。まるで「見えない手」で鼻と口をふさがれているような・・呼吸が出来ないような息苦しさである。

と言っても目の前には何も見えない。だが、確かに何かによって顔をふさがれているのだ。そしてその謎の圧迫感は除々に下を降りていき、今度は首を絞め始めた。彼女は訳も分からずパニック状態におちいった。



「まさか幽霊・・?」そういう感覚が頭をよぎりながら彼女は必死にもがき、首をかきむしるように抵抗していると、突然その圧迫感はスーッと消えてしまった。
錯乱状態におちいっていた彼女は恐怖に怯えながら、その場にへたりこんでしまった。もちろん、後は逃げるように自宅に帰っていった。

しかし・・彼女が自分の家に帰って鏡を見た瞬間、更にその恐怖は増した。彼女の顔と首には、はっきりと人間の手の跡がついていた。かなりの力で圧迫されたような人間の手形・・。この手形は数日間残っていたという。

この教会を訪れ、こういった体験をしたのは何も彼女だけではない。1999年だけでも実に50人以上の人が見えない手によって顔をひっかかれたり、首を絞められたり、肩や腰を殴られるという現象を体験しているのだ。


この「グレイフェアーズ・カークヤード教会」はかつては教会でありながら、なぜか牢獄として使用されており、獄中の中では拷問によって死に至った者も多くいるという。

また、冬も暖房器具が与えられずに病死していった者、満足な食事も与えられずに衰弱して死んでいった者など、実際、この教会の中で不本意な死を遂げた者はかなりの数に昇るらしい。

数々の奇怪な現象はこれらの囚人の怨霊によるものなのだろうか。確かに奇怪な現象が起こっているのは、かつて牢獄だった部屋と、その周囲に多発している。

牧師の話によると、17世紀に無実の罪でこの牢獄に入れられ、そして獄中で死んだジョージ・マッケンジーという人物が怨霊となって教会内をさまよっているという。


しかし「教会」ということから、いつまでも怨霊をそのままにしておくというわけにもいかず、1999年11月、牧師によって悪魔払いの儀式が行われた。
儀式の最中に撮られた写真に中に、「誰もいるはずのない部屋に人影が写っていた。」という事件はあったものの、儀式は執り行われ、それ以後この教会から怪奇現象は一時期消えた。

だが、年が開けてすぐの2000年1月26日、この悪魔払いの儀式を行った牧師が突然心臓発作で倒れ、そのまま亡くなってとしまういう事件が起こったのだ。悪魔払いは本当に成功したのか?それとも結果的に牧師は怨霊に負けてしまったのか・・本当のところは謎のままである。

8 notes

かつてジョン・パーミントンという人気作家がいた。彼の書く小説は評判も上々で、売れ行きも決して悪くはなかった。
ある日彼が、最新作「海の英雄」を書き上げた時、この小説をもっと効果的に宣伝する方法はないものかとあれこれ考え始めた。

そしてこの時彼が思いついた方法というのは、小説の一部を抜粋して紙に書き、それをビンに入れて海に流すという方法であった。流されたビンは海流に乗って色々な場所にたどり着き、国境を越えて多くの人々が読むかも知れない。

まさしくロマンチックで夢のある宣伝方法である。小説の一部を入れたビンは全部で2000個ぐらい用意され、それぞれが海に流された。そしてこの、手の込んだ宣伝方法は効果を上げ、最新作「海の英雄」は、かなりの売れ行きを示したのである。



そしてそれから16年後、偶然にも小説と同じ名前の「海の英雄号」は実在し、航海に出ていた。
この「海の英雄号」は、大西洋からマゼラン海峡を通過して太平洋へ渡り、そしてインドへと向かっていた。しかしこの航海中に大変な事件が起こってしまったのである。

日ごろから船長と仲の悪かった、ある下士官の一人が謀反を企て、水夫たちと一緒にその船を乗っ取ってしまったのだ。
船長や航海士の多くは殺され、船は航路を変更してアマゾン川をさかのぼることとなった。


そしてところは変わり、この事件とほとんど同じ時刻、すぐ近くの海域ではブラジルの戦艦「アラグリア号」が航海中であった。
午前8時、「アラグリア号」の水兵が、水温を調べるために海水にバケツをつけて水を汲み上げている時に、波に漂う小さなビンを発見した。何だろうと思い、ビンを拾い上げてみると中には小さな紙切れが入っていた。

どうやら紙切れには英語で何か書いてあるらしいが、水兵は英語が読めない。そこで艦長に報告し、この紙切れを艦長に手渡した。艦長がその紙切れを読んでみると、「海の英雄号」からの緊急発信であった。

「船で反乱が起こった。私は奴らに殺されるかも知れない。一等航海士も船長も殺されて海に投げ込まれた。私は二等航海士であるが、船をベレンへ向けるために生かされている。至急救助願う。現在位置は〇〇。海の英雄号。」

アラグリア号の艦長が確認を取ったところ、「海の英雄号」は、実在する船であることが分かった。メッセージに示されている現在位置もこの場所から近い。「これは本物の救助信号だ!」アラグリア号の艦長はそう確信し、すぐに海の英雄号の救助に向かった。


そして2時間後、海の英雄号は発見された。反乱は確かに起こっていたが、アラグリア号の乗組員は全員兵士だったので圧倒的な力でその反乱を鎮圧し、他の乗客も救助することができた。

「この、ビンに入った手紙を発見してすぐ救助に飛んできたんだ!」
アラグリア号の艦長はそう言いながら二等航海士にその紙切れを見せた。だが当の二等航海士は、そのようなメッセージは書いた覚えがないという。書きたくても常に見張らていたので、手紙を書いてビンに入れるような余裕はなかったらしい。

そこで生き残った者、全員に聞いても誰も見覚えがないという。他の乗客の命を救った大変なメッセージであるのに、結局誰が書いたのか、分からずじまいだった。


だがそれから1年後、偶然その手紙の送り主が判明した。手紙の送り主は、海の英雄号の乗組員の誰でもなく、16年前にジョン・パーミントンが、自分の小説「海の英雄」の宣伝のために・・あの時流した2000個のビンのうちの一つだったのだ。

このビンが海流に乗ってブラジルの方まで流されていき、16年前に書かれた小説と全く同じ事件があった場所まで流れつき、そして小説のタイトルと実際の船の名前も同じ、そしてそのビンに入っていた小説の一部が救助を求める内容であったこと・・・これらの天文学的な確率ともいえるような偶然が重なり、海の英雄号は救助されたのである。

この驚くべき偶然はイギリス本国でも報道され、大変な反響を巻き起こした。

174 notes

西インド諸島のハイチには、「シタデル城」と呼ばれる小さな城が立っていた。この城は元々は黒人が建てた城で、ここの城主は生前、自分の命令に従わない白人を次々と虐殺しては、近くの池にその死体を投げ込むというようなことを平然と行っていた。

その池の水が血のように真っ赤であるのは、そういた因縁があるのではないかという・・いわばいわく付きの城と池であった。



1952年6月、この地を4人の人間が訪れた。ジョゼフ・クルーゾーとその妻のマリー、それに二人の助手である。
4人は仕事でこの近辺を調査するために訪れたのであるが、仕事中、突然ジョゼフの気分が悪くなってしまった。

「少し休んだ方がいいかもしれない。4人は池のほとりに座って休憩をとることにした。妻のマリーが、「ジョゼフは私が見てるから、あなた達二人はちょっとその辺でも散歩してきたら?お城の方を見物してきてもいいわよ。」と言うので、二人の助手はとりあえずその言葉に従い、この付近を散策してみることにした。

助手たちがしばらく歩いて池の方を振り返ってみると、マリーは夫の横に座ってはいるが、何か池の方をじっと見つめているようだった。
「別に状況は変わってないみたいだ。」
そう思い直して、また二人は向きを変え、歩き始めようとした瞬間、突然後ろから「パーン!」という銃声が響いた。


びっくりして助手たちが振り返ってみると、マリーは、まだ硝煙の立ち上る銃を手に持ったまま呆然と立ちすくんでいた。助手たちはすぐにマリーの元へ駆けつけた。しかし、当のマリーは、
「私、ジョゼフを殺してしまった・・。殺してしまった・・。」とつぶやくばかりだった。

だがよく見ると、目の前に横たわっている死体はジョゼフではない。なぜかその場には、城の管理人であるレオンという男が、胸を撃ち抜かれて死んでいたのである。

さっきまでそこで寝ていたジョゼフはどこへ消えてしまったのか・・。そしてなぜ城の管理人であるレオンがここにいて、今、この場で死んでいるのか・・。全く理解が出来ない出来事だ。


マリーは殺人の現行犯で逮捕された。たが、マリーに詳しく事情を聞いてみると、その話は全く理解に苦しむものであった。

「あの時私は、じっと池の水を見つめていました。すると、池に映った私の顔がみるみる醜い男に変化したのです。そしてその醜い男は、いきなり池から出てきて私の首を絞めたのです。

それから後のことは覚えていません。きっとジョゼフの持っていた銃をとっさに取って、その醜い男を撃ったんだと思います。私にもわけが分かりません。一体なぜ、こんなことになってしまったのか・・。」


ところで撃ち殺された、城の管理人レオンの方であるが、あの日、時計が午後2時を打った時、レオンの妻は、城の庭で草木の手入れをしている夫をはっきりと目撃している。

マリーが池のほとりでレオンを射殺したのは午後2時5分。城と池は約2km離れている。徒歩で、5分で2kmの道のりは行けるわけがない。しかも、二人の助手が、マリーとジョゼフの間を離れていたのは、ほんの1分か2分の間である。

そして何よりも奇妙なことは、ジョゼフは一体どこへ行ってしまったのか。
警察も大がかりな捜索を行ったが、結局その姿は発見されず、行方不明ということになってしまった。マリーは取り調べを受け、精神鑑定を受けた結果、病院に収容された。


それから半年後のある日、アメリカの調査団がこの城を訪れた。この調査団は、マリーの殺人事件とは無関係で、学術的な見地から、この城そのものを調べにきた調査団である。

調査団は城の中に入り、あれこれと調べているうちに、何十年も誰も入ったことのない地下牢の方へと調査が進んでいった。

ある地下牢のカギをあけたところ、その中に一体の死体を発見した。調べてみると、それはなんと半年前に行方不明になったジョゼフの死体であった。死体は白骨化し、変わり果てた姿になっていたが、服や持ち物などからジョゼフであることが断定された。

しかし、この地下牢は、何十年も開けられた形跡がなく、第一かけられたカギはすでに錆びついてしまっている。なぜこのような場所にジョゼフの死体があったのか。そして撃ち殺されたレオンは、どうやって5分で2kmもの道のりを移動したのだろうか。結局この城の殺人事件の謎はいまだに解明されていないのである。

16 notes

第二次世界大戦も終盤に近づいた1944年6月、ヒトラー率いるドイツ軍は、フランスの大西洋海岸・ノルマンディー地域の海岸線の防備を固めていた。ヒトラーはそれまで陸路も空路も完全に遮断していたので、連合軍が乗り込んでくるとすればノルマンディー海岸しかないと読んでいたのだ。

海岸線防備にはロンメル将軍があたり、まず海岸線の一帯に鉄条網を張り巡らし、地雷も莫大な数を砂の中に埋め込んだ。そして海岸には沿岸砲を並べ、海上には機雷を浮かべ、更に海の中には障害物をいくつも配置した。



そして更に、海岸の近くには、厚さ2ートルの壁で作られたブロックハウスをずらりと建築した。このブロックハウスは、縦が5メートルから6メートル、横は4メートルくらいで、もし海岸近くで戦闘になった場合には、全員がこのブロックハウスに立てこもり、最後の一兵までもが戦い抜くつもりだったのである。

だがこうした情報は、連合軍側が事前に察知し、空挺師団が空からパラシュートを使って次々降下し、敵地に攻撃をしかけていったのである。虚をつかれたドイツ軍はたちまち大混乱に陥り、そのスキをついて海からも連合軍は上陸し始め、大量の兵士や車両、補給物資などが運び込まれた。ノルマンディーの戦いは連合軍側の圧倒的な勝利に終わったのである。


そしてその戦いから6年が過ぎた。戦争の傷跡もだんだんと癒えたころである。だがノルマンディーの戦闘の際に作られたブロックハウスは今だにその姿形を残していた。なにしろ厚さ2メートルの壁で作られたものだから、そう簡単に壊れるものではない。

これらを撤去しようと思うのならば、一つ一つ爆破していくぐらいしか手がない。そんなある日、海岸線に近いブドウ畑にあるブロックハウスを撤去しようと、この地に政府から役人が訪れた。

ブドウ畑に建設されたブロックハウスは、戦争の時に爆撃されたせいと6年間の歳月の間に半分くらいが土の中に埋もれてた。このままではどうしようもないから、まずこのブロックハウスのまわりの土をどけて、その上で爆破しようということになった。

そしてまわりの土を取り除いていると、突然ブロックハウスの壁の一部が崩れ落ちてしまった。つまり壁の一部に穴があいてしまったのだ。そしてそのあいた穴から、つんとするような匂いが立ちこめてきた。


何かが腐ったような匂いではなく、何か生き物特有の・・いかにも中に生物がいるかのような・・そんな匂いだった。
「まさか中に生き物がいるわけがない・・。ブロックハウスは6年間、完全に外の世界と遮断されていたのだ。仮に6年前に人間がここに閉じ込められていたとしても、もう生きているわけがない・・。」

そう思いながらも政府の役人は、あいた穴から中を覗き込んでみた。すると・・・中で何かうごめく者がいる。よく見ると、明らかに人間である。

「生きた人間がいるぞ!」役人は叫んだ。すぐに壊れた壁の部分をさらに拡大して、中の人間を救出すべく、役人と作業員がブロックハウスの中に入って行った。確かに生きた人間はこの中にいた。それも二人。だが、床にはミイラ化した4体の死体もそこにはあった。


だが、それぞれがもう、まともな人間ではなくなっていた。生きていたとはいえ、二人ともほとんど言葉も喋れず多少動き回るだけで、ほとんど人間らしさを失った状態になっていた。

しばらくするとそのうちの一人がかすかに正気を保っていたので、話を聞くことが出来た。事情を聴いてみると、その6人はブロックハウスを建設するために集められた土木作業員である。

彼らが作業をしていると突然戦闘が始まり、びっくりしてこの中に隠れたらしい。そしてこの中でしばらくじっとしていたら、辺りが静かになったので、闘いは終わったものだと思って外に出ようとした。ところが扉がビクともしない。

爆撃されたために周りの土がブロックハウスに覆いかぶさり、扉を外から塞いでしまったようなのだ。
6人がかりで大声で助けを求めるが、誰も気づいてはくれない。幸いにもここは倉庫だったらしく、小麦粉や缶詰、ロウソクやマッチ、そして米などが莫大な量、蓄えられていた。


彼らはロースクの火で小麦粉を焼いてパンのようなものを作り、それを主な食物としてずっとここで生活していたというのだ。上からわずかに光が差し込んでいたために失明は免れたものの、そのうちだんだんと皆、喋らなくなり、大脳の働きも衰え、動くこともほとんどなくなった。

そのうち1年2年と経つうちに、体力の弱った者から死んでいき、閉じ込められていた6年間に4人の人間が死んでいった。

助けだされた2人であったが、1人は完全に脳に変調をきたし、病院に運ばれて手当てを受けたが、回復することはなかった。
そしてかすかに正気を保っていた、もう1人も、それからほどなくして死亡してしまった。

厚さ2メートルの壁で完全に外の世界と遮断され、すぐ横を人が通りかかっても全く気づいてもらえなかったブロックハウス・・・。
脱出不可能な状態での6年間、彼らは何を思い、そして死んでいったのだろうか。

16 notes

1783年(天明3年)、浅間山は大噴火した。噴煙は、上空1万メートルにまで達し、その時に流れ出た溶岩流は、付近の村々をあっというまに覆い尽くし、約1200人もの命が失われた。

流れ出た溶岩流は、何もかも焼き尽くしながら吾妻川へと流れ込み、川の岸辺には溶岩と一緒に運ばれてきた凄まじい数の死体と、家屋の残骸が打ち上げられた。

特に火口付近に近かった鎌原(がまはら)村は、わずか十数分の間に村全体が溶岩流に覆われ、この村だけで、477人の犠牲者を出した。だが、村人たちが全滅したわけではなく、何とか93人ほどは、近くの高台に非難し、命拾いしたという。その後、火山の山麓付近では約3ヶ月間に渡って煙がくすぶり続け、歴史的な大災害となったのである。



そして歳月は流れ、ようやくこの大噴火も昔話となりつつあったころ、鎌原(がまはら)村で、驚くような事件が起きた。

ある夏の日、一人の農民が井戸を掘ろうとして、ひたすら土を掘り起こしてした。だがしばらく掘っても、全く水が出る気配がない。更に、もうちょっと掘ってみると土の中から瓦(かわら)が出てきた。

おかしな物が出てきたもんだと思い、穴を横に掘り広げてみると、今度は屋根が出てきた。家が丸ごと、この下の埋まっている・・そう直感した農民は屋根の一部を壊して穴をあけてみた。

中を覗き込むと、その下には家のような空間が広がっており、人間が二人ほど底の方でうごめいているのが見えた。
すぐに付近の人を呼び、この老人を助け出して事情を聞いてみると、びっくりするようなことを語りだした。


「何年か前、浅間山が大噴火をした時に、一家6人でこの倉庫の中に隠れたが、そのまま地中に埋められてしまった。横に穴をあけて逃げることも出来ず、ずっとここで暮らしていたのだ。

幸いここは倉庫で、米も3000俵あり、酒も3000樽ほどあったので、これらを食いながら今まで生きながらえてきた。4人はすでに死んでしまったが、我々は再びこうして地上に出ることが出来て、また皆さんと会うことも出来て無上の喜びを感じている。」

老人たちが発見されたのは文化12年。浅間山の大噴火から33年後のことである。

老人たちの話が本当だとすれば、この二人は実に33年間もの間、地中で暮らしていたことになるのだ。
この話は、江戸時代の狂歌師・大田蜀山人(おおた・しょくさんじん)が書き残している事件である。

207 notes

切り裂きジャックが殺害した売春婦は5人とされているが、これは彼の犯行パターンに完全に合致した犯行が5件ということであって、疑わしきものまで入れると20件近くにものぼる。もちろんこれらの犯行の中には切り裂きジャックの偽物も含まれているかもしれない。そして期間も2ヶ月ではなく1年以上にもわたって犯行が繰り返されたという、もうひとつの説がある。

この事件は結局迷宮入りとされているが、実は1人の霊媒師によって犯人は捕らえられていたという記録も残っているのだ。この記録は1931年に発表され、世間に大変な反響を巻き起こし、警察側もあえてそれを否定するようなことはしなかった。

この時、事件解決を行った中心人物は、当時の有名な霊媒師である、ロバート・ジェームズ・リーズ(1848~1931)である。要するに、リーズが死んだ直後にこの「新説」は発表されたのである。



切り裂きジャックが4番目の殺人を行う前日、自宅にいたリーズは突然ある幻覚に襲われた。イーストエンドの酒場に近いある光景が彼の目の前に浮かび上がってきたのである。幻覚というにはあまりにも鮮明で、酒場の名前もはっきりと読み取れたし、時計が0時40分を指しているのも確認できた。まるで映画でも見ているような感覚だった。

そのある場所に、一組の男女が入ってきた。男の方は足取りがしっかりしているが女の方は酔ってフラフラになっている。女がそのまま壁に寄りかかった時、男は素早く女の口に手を当てて、隠し持っていたナイフでノドを一気に切り裂いた。

鮮血が飛び散りそのまま女は地面に倒れると、その後男は女をメッタ突きにし、女の服でナイフをぬぐうとそのまま現場から消えていった。

リーズはすぐにロンドン警視庁に行ってこのことを伝えたが、まるで相手にもされずおい返されただけだった。しかし一応念のためということで、警官が犯行の時間と場所をメモした。そして次の日、リーズが言った通りの場所と時間で売春婦は殺されたのである。


そしてそれから1年がたった。その1年の間にもジャックは殺人を重ねていた。ある日リーズはまた幻覚を見た。今度は被害者の顔がはっきりと見える。被害者の片方の耳が切り離され、もう片方の耳は根本だけ残してぶら下がっているような状態である。

またもやリーズはロンドン警視庁に駆けつけ、このことを伝えたが、今度は警察もしっかり聞いてくれたようだ。リーズの話を聞き終わった後、警部は一通の手紙をリーズに見せた

それは切り裂きジャックからの手紙で、血の指紋が押してあり、赤いインクでこう書かれてあった。
「明日の晩、俺が一番憎んでいる売春婦を殺してやる。9人目の犠牲者だ。俺が本物の切り裂きジャックだということを証明するため、9人目の女の耳も切り落としておく。」

警察は全面的にこの話を信じ、厳重な警戒態勢を敷いた。ほとんどすべての路地に私服警官を動員したのである。しかしにもかかわらず、この厳重な警戒の中で切り裂きジャックは殺人を実行したのだ。

死体は確かにリーズのいった通り、女の耳の片方は切り離され、もう片方は根本だけ残してぶら下がっているような状態であった。


リーズはこの一件で気持ちが悪くなり、体調不振の回復と気分転換を兼ねて旅行に出かけた。リーズが旅行に行っている間もジャックは犯行を重ね、犠牲者はすでに16人になっていた。そしてロンドン警視庁には20人まで殺してやるという殺人予告まで届いていた

リーズがロンドンに帰って間もなく、あるレストランで二人の友人と食事をしている時、突然リーズが立ち上がってこう叫んだ。
「今、切り裂きジャックがまた人を殺した!」と。

3人はすぐ人ロンドン警視庁へ出向いたが、まだ殺人の知らせは入っていなかった。リーズが警官と話していると、クラウン・コート(地名)で女が殺されているという情報が届いた。

警部補がリーズを車に乗せてクラウン・コートへと急ぐ。現場に着いたとたんリーズは、暗がりの一角を指さしてこう言った。
「あの壁を見て下さい。何か書いてあります。」

警部補がその壁を明かりで照らしてみると
「17人目 切り裂きジャック」と、チョークで書かれていた。


警察はリーズを全面的に信用し、捜査に協力して欲しいと申し出た。リーズは快く承知し、早速調査を開始した。ジャックを求めてロンドンの町をさまよい歩く。リーズの後には警部や警官が続いている。

ある家の前まで来た時、リーズはその足をピタッと止めた。「この家です、切り裂きジャックが住んでいるのは。」
警部にそう告げた。しかしそこはロンドンでも有名な医者の住んでいる邸宅で、もしこれが間違いだったら警部も責任を問われることは必至である。

少し躊躇(ちゅうちょ)したが、リーズに、「ではこの家の中の様子を言ってみて下さい。もしそれが当たっていれば、この家の者を逮捕します。」と言った。

これに対しリーズは
「分かりました。内部の様子は・・・まず玄関を開けると右の方に高い背もたれのイスが置いてあって、正面にはステンドグラスがあります。そして大きな犬が階段の下で寝ています。」と返答した。


警察は意を決意して呼び鈴を押した。召し使いが出てきて玄関に入れてもらうと、リーズの言った通りであった。犬はいなかったが、召し使いの話によると普段は階段の下で寝ているが、家の者が起きてくるとすぐに庭に出すのだという。

応接室に通され、夫人に合うことができた。夫人も何か心当たりがあるようで言いにくそうだったが、しばらくして重い口を開いた。
「実は私の夫は二重人格者なのです。外では紳士的に振る舞っていますが、家では突然野蛮なサディストに変身する時があるのです。

私も夫の暴力を恐れて部屋の中に逃げ込むことがしばしばあります。それとイーストエンドで女性が殺された時には、夫は決まって家を留守にしていました。私も恐ろしい予感がして気が気ではなかったのです。」

夫人の話を聞いた後、警察はすぐにその医者の身柄を拘束し、事情聴取を始めた。その医者が言うには、何年か前から時たま自分の記憶の中に空白の部分があるという。


シャツに血がついていたこともあったが、鼻血でも出したのだろうと思ってそれほど気にも留めなかったらしい。家宅捜索を行った結果、その医者が切り裂きジャック本人であると断定できる証拠がいくつか見つかった。

医者は泣きわめき、これ以上殺人を重ねるぐらいだったらいっそ殺してくれと警察に懇願したという。精神科医の鑑定の結果、彼は精神異常と判断され、ロンドンの北のイズリングトンにある精神病院に仮名で収容された。

もちろんこれらのことは秘密厳守で、精神病院の看守たちでさえ、この元医者が切り裂きジャックであることは最後まで知らなかったという。

5人を殺害し迷宮入りになったとされる公式の記録と、17人殺害し霊媒師によって逮捕されたというこの説と、はたしてどちらが本当であろうか。



※補足
切り裂きジャックについて、ある方から掲示板に投稿がありました。様々な説のある事件、そして犯人ですが、投稿の原文もここに掲載いたします。

●匿名さん(865) 題名:ここ面白いですね。。 投稿日 : 2004年3月17日<水>19時04分

切り裂きジャックの件は2002年に、事件と関わりのある絵師だった人の息子によって事件の真相が発表されています。
時代は切り裂きジャック事件が起こる数年前、由緒ある王族末裔の跡継ぎ息子が売春婦と関係を持ってしまい、子供が産まれたことが事の始まりです。

名誉のために息子は軟禁され、その売春婦も殺されてしまい、事件は闇に葬られるはずでした…しかし、その売春婦は自分が王族の息子と関係を持っていることを他言してしまうのです…仲間の売春婦たちに…。そしてこれを察した王族末裔は刺客を派遣することになるんです。

一方、息子と売春婦の間に生まれた子供は、王族の屋敷に飾る絵画を描いていた絵師のところに預けられます。絵師は事の発端から全てを知っていました。もちろん話したら自分も殺されるので他言はできません…しかし絵師は死ぬ間際に息子に全てを話しました。いつかこの残忍な事件の真相が明かされることを願って…。

12 notes

1829年10月16日、イギリスの帆船「マーメイド号」が19人の乗組員と共にシドニー港を出発した。ところが海に出て4日目に突然嵐に巻き込まれてしまった。必至に舵をとり乗組員たちは懸命に頑張るが、突然襲った大波にマーメイド号は暗礁に叩きつけられ、船は二つに裂けて、乗組員たちは全員海に投げ出されてしまった。

暗やみの中で必死にもがく乗組員たち。ふと見ると100メートルほど先に大きな岩が突き出ているのが見えた。全員そこまで泳いでいき、凍えながらも岩にしがみつき、ひたすら救助を待った。その状態で3日過ぎたとき、近くを航行中の「スイフトシュア号」に発見されて何とか全員救助された。



「ああ助かった・・。」マーメイド号の乗組員たちは全員肩をたたいて喜び合った。スイフトシュア号は、マーメイド号の乗組員たちを乗せて再び動き出した。

ところがその5日後、せっかく救助してくれたスイフトシュア号は突然海図にもないような強い海流に巻き込まれ、あっという間に岩礁に乗り上げてしまったのだ。合計32人の乗組員たちは船を捨て、なんとか近くの岸までたどりつくことができた。

この岸で助けを待っていると、今度はたまたま「ガバナー・レディ号」が近くを通りかかり、2隻の船の合計32人の乗組員たちは無事救助されたのである。またしても助かった。


レディ号は定員を大幅にオーバーしてしまったが、2つの船の乗組員たちを乗せて再び出発した。これで乗組員全員を合計すると64人になった。

ところが出発して間もなく今度はレディ号が火事に見舞われたのだ。木材を積んでいたために火はあっという間に燃え広がり、それぞれが救命ボートに乗ってなんとか脱出した。

しかしこのたび難破したのは、大西洋のど真ん中に近いような場所だったので、さすがに3隻の船の乗組員たちはみんなあきらめムードであった。全員がほとんど自分の死を覚悟したころ、今度は奇跡的にオーストラリアの船の「コメット号」が通りかかり、またもや全員が救助されたのである。


3隻の船の乗組員を救助し、コメット号は出発した。ところがまたしても今度はこのコメット号が、スコールに巻き込まれ転覆してしまったのだ。乗組員たちは救命ボートに乗る暇さえなく、木切れに捕まって海を漂っていた。

いくらなんでも今度こそ、もう終わりだろう・・・誰もがこんな風に思っていた時、なんと今度は18時間後に郵便船「ジュピター号」に発見されて、またもや全員救助されたのである。

最初のマーメイド号の乗組員からすれば4回目の難破ということになる。だがこれまで不思議なことに、一人の死者も怪我人さえも出ていなかった。


出発したジュピター号の中でほっとしていたのも、つかの間だった。突然ジュピター号は暗礁に乗り上げ、船の底には大きな穴があいてしまい、乗組員たちはまたもや海に投げ出されてしまった。

この時点で乗組員たちは、船長が5人、乗組員が123人の、合計128人となっていた。全員岩にしがみついて助けを待っていると、今度はイギリスの客船「シティ・オブ・リーズ号」が通りかかり、またもや全員が救助されたのである。

リーズ号は100人あまりのお客を乗せて、イギリスからオーストラリアに向かって航行している最中であった。マーメイド号の乗組員たちにとっては5度目の難破になるが、またしても助かったのである。


ところが奇跡はこれだけで終わらなかった。リーズ号に救助され、中に乗り込むとリーズ号の船医が乗組員たちに近づいてきてこう尋ねた。

「君たちの中にイギリスのヨークシャー出身の人はいませんか? 実はこの船の中にはヨークシャー出身の重病人がいて、さっきからうわごとのように十年間会っていない息子の名を呼び続けているのです。

誰かが息子の代わりになってくれれば少しは病状も持ち直すと思うのですが・・・、どなたかヨークシャーなまりの言葉を話せる人はいないでしょうか?」

その時マーメイド号の乗組員の一人が口を開いた。
「その重病人とはヨークシャーのどこの出身なんでしょう?」
「確かホイットピーという地名です。」と船医が答える。

「それはちょうどいい。私はそのホイットピー出身なんです。」
「それは偶然じゃありませんか! ところであなたは今、何歳ですか?」

「もうすぐ32になります。」
「年まで同じとは! それじゃ早速一緒について来てもらえませんか?」

「あ・・それから先生。僕が身代わりになる、その息子さんの名前はなんというのでしょう?」
「ああ、そうだ!名前はピーター・リチャードソンだ。ちゃんと覚えておいてくれよ。」

「ピーター・リチャードソンだって?!」青年はびっくりした。
「先生、別に身代わりの必要はありません。私がそのピーター・リチャードソンです。」
今度は先生の方がびっくりした。


「私は養父母に育てられたんですが、実は以前、私には本当の両親がいると養父母に聞かされたことがあります。」
すぐに先生とピーターはその重病人の婦人のもとへと急いだ。「ママ!僕だよ、ピーターだよ!」と、声をかける。

それまで瀕死の状態で、痩せこけていたその夫人はびっくりして叫んだ。
「お前は・・!私のピーター! 本当にピーターなんだね!」
ほとんど諦めかけていた状態から奇跡的にその婦人は回復に向かった。

人々は感動して口々に噂し合った。
「神様はこの親子を再開させるために5隻もの船を遭難に会わしたんじゃないのか? その証拠にあれだけ船が沈んでも、死人なんて一人も出なかったじゃないか。」と。

今度の船・リーズ号は難破はしなかった。無事港へたどり着き、奇跡的な再会を果たしたピーターとその母親はその後20年間も幸せに暮らしたという。

83 notes

1966年、米国のボゴタで、一家3人が惨殺されるという事件が発生した。殺されたのは、2人の両親と、ナタリア・オレステスという少女であった。特に少女の殺され方は無惨で、白いドレスがほとんど全て血で染まり、最初警察が赤茶色のドレスと見間違えて報告したほどであった。

もちろん、警察は大がかりな捜索を行ったが、それらしい人間を捕らえることは出来ず、事件はこのまま迷宮入りかと思われた。

そしてそれから2年が経った。事件のあった屋敷はあれ以来、固く閉ざされている。だが、最近になって近所の子供たちがしきりにその家に遊びに行くようになった。もちろん家の中には入れないが、その家の周りで楽しそうに遊んでいる。

ある日、見かねて警官が、子供たちに注意をした。しかし子供たちが言うには、
「この家の窓から、かわいい女の子が手を振って僕たちを呼ぶんだよ。一緒に遊ぼうって!」



答えたのは、4歳になったばかりの子供であった。もちろん、あの当時の事件の詳しいことなど知ろうはずもない。
「バカことを言っちゃいけないよ。あの家は怖い家なんだからね。もう絶対近づいちゃいけないよ。」と、警官はさらに念を押した。

だがその日の夜、ついにその家の窓から、白いドレスを着た少女が手を振っているのが目撃されたのである。今度は大人の目にもはっきりと見えるほど鮮明であった。

「ナタリアだ!」地元の住民たちは、そう直感した。すぐに人が集められ、その家を捜索することになった。先頭には牧師が立ち、家のカギを開けてみる。事件発生から2年が経過していたが、その間はもちろん、この家を開けた者は誰もいない。

2年ぶりに扉を開き、中を捜索してみたがやはり怪しい物は何もない。結局この捜索では「あれは見間違いだったのだろう。」ということになった。だが、これを期にそれから何度もナタリアの霊が窓から手を振っているのが目撃されるようになったのである。

やはりあれは見間違いではなかったのだ。街はナタリアの霊のことで揺れに揺れていたが、そんなある日、ある一人の男が警察を訪れて来た。


あの一家惨殺事件の犯人が自首してきたのだ。警察も最初、半信半疑であったが、世間に公表されていない現場の詳細な状況などを詳しく話し、真犯人であると断定された。事件が経過して2年後、迷宮入りかと思われた事件に、突然犯人が自首してきたのである。

不思議に思い、警官は、なぜ自首してきたのかを訪ねてみた。するとその男が言うには、
「実は最近になって、俺があの時殺した女の子が夜、枕元に立つようになったんだ。その少女はささやくように『おじさん、罪をつぐなって。警察へ行って。じゃないと私、安心して天国へ行かれないの。』と、いつも耳元でささやくんだ。」

毎晩のように少女は現れ、そのたびに男は全身汗だくになって目が覚めるのだという。ついにはベッドに入るのが怖くなり、夜が近づくにつれて毎晩震えがくるようになった。

そういった日が何日も続き、ついに耐えきれなくなって自首してきたのだという。不思議なことに、自首して以来、少女の霊はパタッと現れなくなった。

ナタリアの霊が現れていたこの家は、裁判が終わるのを待って焼き払うことになった。1968年10月、この屋敷に火が放たれ、この家はこの世から消滅した。

33 notes

超能力や予知能力と聞けば、誰しもロト6の次の当たり番号や明日の競馬の勝ち馬などが分かれば瞬く間に大金持ちになれるのに、と考えるものである。もっとも現実はそう甘くはないが、しかしこのような能力を持った人間が実際にこの世にいた。

イギリスのピーター・フェアリーは、あるテレビ局で働く普通のサラリーマンであったが、給料前でも金に困ったことがなく、欲しい物は次々と買ったりして、やけに羽振りのいい生活を送っていた。同僚が尋ねても「競馬で稼いだのさ。」と言うだけで詳しくは語らない。「競馬にしちゃ、やけに勝ちが続くな。」と言われても「なーに、たまたま運がいいだけさ。」といった調子である。

運にしては勝ちが続きすぎるし、あまりにも稼ぎすぎである。しかもピーター自身の競馬に関する知識はお粗末なものであった。もっともこの頃には決して他人に話すことはなかったが、実はピーターは夢の中に出てくるシーンや、車を運転中に聞こえてくる声などで、未来のレースの結果を知っていたのである。



ピーターに初めてこういった不思議なことが起こったのは1965年のダービーの直前だった。ある日彼はラジオを聞きながら車を運転していると、ラジオからしきりに「ブレイクニュー夫人、ブレイクニュー夫人」という言葉が聞こえてくるような気がした。

その声に気を取られたのか、彼は道に迷ってしまった。見知らぬ場所に出てふと看板を見ると「ブレイクニュー村」と書かれてある。

道を調べなおして、やっと仕事先に到着すると、そこで彼が最初に聞いた言葉も「ブレイクニュー」という言葉だった。さっきからつきまとっているこの言葉・・。「ブレイクニュー」とは一体何なのだろうと同僚聞いてみたところ、明日のダービーに出走する馬だということが分かった。

しかし前評判はかなり低い。だがピーターは、何かピンときて、この馬に賭けてみたところ大当たりで、この1レースだけでかなり稼ぐことが出来た。

その後は能力が目覚めたのか、出走表を見ただけで一着になる馬が分かるようになってきた。また、夢の中で明日の新聞を読んでいるシーンが見えたり、あるいは自分が競馬場にいて勝利の瞬間を見ている場面などが見えてくるようになった。

この能力は段々と強くなり、ピーターはどのレースを買っても100発100中で当たるようになった。当然稼ぎも驚くほどの金額が手に入るようになったのである。


だが彼は1976年、ついにこの秘密をテレビで喋ってしまった。イギリスのBBCテレビが、「競馬の結果を夢で知ることが出来る男」を主人公にしたドラマを放映した時、彼は我慢できなくなり、「それはドラマだけの話ではなく、実際に出来る人間がここにいるのだ!」と名乗り出てしまったのである。

イギリス全土に放映された番組の中でインタビューに応じた彼は、それからすっかり馬券を買いにくくなってしまった。ピーターが買う馬券と同じものに全財産突っ込む人間だっているかもしれない。そんな考えもあってか、やがて彼は競馬からは遠のいてしまった。

もっとも同僚の話によると「彼は今まで十分過ぎるほど儲けてきたからね。別に今後は競馬で稼がなくても、もう莫大な資産があるから十分だろう。」ということだった。

9 notes

寛延・宝暦(1748年から1764年)のころ、江州(滋賀県)の八幡に、松前屋市兵衛という男がいた。ある日の晩この市兵衛が、夜中に厠(かわや = トイレ)に行きたくなり、女中に明かりを持たせて一緒に厠(かわや)へと行った。市兵衛は厠(かわや)へ入り、女中は明かりを持って外で待っている。

ところが、いくら待っても市兵衛は厠から出てこない。しばらくすると、市兵衛の奥さんも心配になったのか、厠へとやって来た。二人で厠の前で待っていたが、やはり市兵衛は出て来ない。さすがに心配になって「どうしたんですか。」と戸を叩いてみたが反応がない。二人は思い切って戸を開けてみることにした。

不安をいだきつつも戸を開けてみると、そこには市兵衛どころか誰もおらず、完全にもぬけのカラである。窓には格子がはまっているし、もしや便壺の中にでも落ちたのではないかと覗き込んでみたが、やはりいない。付近を必死に捜索したが、完全に市兵衛は行方不明になってしまった。

それでも妻は、いつしか市兵衛が帰ってくるのではないかと思い信じて待っていたが、やはり全くの音信不通で、ついに諦めて別の男と再婚してしまった。



そして市兵衛が消えてから20年後。ある日突然、厠から
「おーい。おーい。」という、人の呼ぶ声が聞こえてきた。聞き覚えのある声である。

まさかと思い、妻は、不安と恐ろしさが入り混じりながら、思い切って戸を開けてみると、そこには20年前に消えた市兵衛が・・・・消えた時の服装、そのままで厠でしゃがんでいたのである。

妻は、腰が抜けるほどびっくりした。だが目の前にいるのは、まぎれもなく市兵衛である。とりあえず座敷に連れてきて事情を聞こうとしたが、市兵衛は「腹が減った。」と一言言っただけで、あとはメシを食うばかりだった。

そして食い終わってしばらく経つと、突然彼の身体の周りに煙のようなものが立ちこめ、着ていた服がポロボロになってチリになり、市兵衛は丸裸の姿になってしまった。

その後市兵衛は、何事にもなかったかのように昔の生活に戻れたが、失踪していた20年間は、まるで記憶がないという。こうして市兵衛の妻は、市兵衛と現在の夫と、二人の男に囲まれ、奇妙な生活を送ることになったという。

30 notes