Posted on Saturday, 25 July 2009
4 日本ブルマー史後期 ブルマーの栄光とその彼方 機能性を追い求めた縮小の果てに (1960年代半ば~90年代)
ようやく我々のイメージするブルマー、伸縮性ある化学繊維製で体にぴったりフィットする、短く足の付け根までしかないパンツ型ブルマーの登場ということになります。
このブルマー導入の一大契機となったのは、一般的に1964年の東京オリンピックとされています。そして、体操服メーカーに対する調査を行っても、確かに、日本におけるこのブルマーの導入は、東京オリンピック以後と見るしかないとの結果が出たそうです。東京オリンピックにおいては日本の女子バレーチームが大活躍しバレーボールに国民の視線を大いに集めたのですが、そこではゆるめのブルマーを履く日本選手の傍らに、外国選手がピッタリしたブルマー姿で登場、鮮烈な印象を残すことになりました。そして、この「機能的でファッショナブルなブルマーは、このあと日本選手にも受け入れられるようになる。」(『ブルマーの社会史 女子体育へのまなざし』青弓社 171頁)。
もちろん、バレーボール熱に浮かされた一般国民にも影響が及ぶことは避けられません。そのため60年代半ばからは、このパンツ型ブルマーが、下半身用体操服の主流になったのです。なお、1965年には日本の繊維生産量に占める化学繊維の割合が初めて五割を超えるのですが、このような当時の化学繊維生産の発達も、伸縮性のある体にフィットするブルマーの普及を後押しした事情と言えます。
ところで、このパンツ型ブルマーへの変革はとりあえずはオリンピックの影響によるものと見るべきであるのですが、だからといって、この現象をそれのみで理解してただの外国かぶれと捉えるべきでもないでしょう。上で見たとおり、日本ブルマーは運動性向上や手入れのしやすさを目指して既にゆとりのあるパンツ型とでもいうべき形状に達しており、形状面でのパンツ型への接近傾向はとっくに生じていました。また、ショートパンツ流行下における改造ショートパンツにパンツ型ブルマーに繋がる方向性・身体意識が示されていたことも、既に見たとおりです。
なるほど、東京オリンピックにおける外国人バレー選手の影響がパンツ型ブルマーの普及に絶大な役割を果たしたのは確かでしょうが、仮にオリンピックが無かったとしても、多少の遅れや普及の程度の差こそあれ、歴史の必然としてパンツ型ブルマーは日本に導入されたはずです。日本国内における化学繊維生産の発達、体操服の機能性追求、女性の身体意識の変容と、あらゆる要素がパンツ型ブルマーの登場を準備していたのですから。
機能的でファッショナブルなものとして登場したこのパンツ型ブルマーですが、その後、
1993年のブルセラ・ブーム(女学生から買い取った中古のブルマーやセーラー服を販売して好事家のフェティシズムに供する特殊エロのお店が流行したこと)以降、露出が多すぎる、体の線が見えるなどの、(要するにエロ過ぎるという内容の)批判意見が勢いづき、体操服としては90年代の内に急速に壊滅状態に陥り、ハーフパンツやクォーターパンツと呼ばれるかつてのショートパンツに似た裾を絞らない半ズボン型下半身用体操服に取って代わられることになりました。
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